手稲山の石≪自然テルル≫

手稲山は、金・銀・銅がとれる山として栄えた有名な山です。

日本の発展を支える程の鉱山だったそうです。手稲鉱山の文献を読んでみました。

明治中頃、星置川で砂金が採れたそうです。そのため、手稲山に金が眠っているという話が飛び交うようになりました。明治20年半ば、星置で農業をしていた鳥谷部弥平治が、偶然、金鉱脈を見つけ道庁に金の試掘を申し出ましたが、よい成果を得られずに断念。その後は、大正に元道庁の技師、石川貞治が開発に乗り出し、この時に手稲鉱山と命名。滝ノ沢上流、黄金沢と呼ばれるあたりの金鉱を見つけ成功しますが、その後の鉱脈探しに失敗して、資金難となり閉山に追い込まれました。鉱業権はその後転々とし昭和を迎えます。

昭和3年、広瀬省三郎がその権利を得て、昭和10年手稲鉱山の経営に三菱鉱業(現在三菱マテリアル)が乗りだします。その年の12月には広瀬省三郎から権利を買収しています。

金・銀・銅・亜鉛・テルル・などを最盛期には月6万トンを産出し、一時期は鴻之舞鉱山に次ぐ日本第2位の産出量を遂げていました。戦後、鉱業権は転々とし1972年閉山。

 

銅の鉱石鉱物のほとんどが四面銅鉱や硫砒銅鉱といった硫塩鉱物で他の銅を産出した鉱山と異なるものでした。(国内の銅鉱山はは黄銅鉱を鉱石鉱物としていました。)様々な鉱物を産出するため、手稲鉱山は鉱物好きの方には有名な産地として知られています。

・昭和14年(1939年)には手稲石。

・閉山後の平成5年(1993年)に渡辺鉱。

・平成13年(2001年)にリシェルスドルフ石。

という、新鉱物が発見されていて世界的に有名な鉱山です。

岩石好きの石ガールですが、ぜひお会いしたい鉱石の一つです。私の所属する札幌地質探究部の顧問は、幼いころ手稲鉱山の見学に行き手稲石を見たそうです。見た目は非常に汚い石だったとか。青い石がゴロゴロと大量に転がっていたので覚えていると話していました。大量にゴロゴロ??今はマニアの間では幻の石です。そんなにゴロゴロとあったのならどこかに必ずあるはず・・・と、夢膨らませながら何度か手稲山に足を運びました。残念ながら手稲石には会えませんでしたが、林道脇を流れる川で部長が自然テルルらしき石を見つけました。まさか会えると思っていませんでしたから興奮しましたよ。山歩きをする皆さん。足元や林道の川の石を何気なく見ると・・・お宝発見!!するかも知れませんね。